信者のからだの復活
『死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、血肉の体で蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉の体があるのですから、御霊のからだもあるのです。』 Ⅰコリント15:42~44
パウロは「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」という質問を想定して、信者の復活について真理を説き明かしました。
Ⅰ.信者はどのようにしてよみがえるのか(Ⅰコリント15:35~41)
1)肉体の死を通して(36節)パウロは種蒔きを例に信者の復活を説明しました。「種が蒔かれる」は肉体の死を象徴します。種が蒔かれた時から発芽の準備が始まるように、信者は肉体の死を迎えた時から復活の準備が始まります。
2)新たな体で(37節)蒔かれた種が芽という新しい形で生えるように、信者は新しい体でよみがえります。地上の体が再び元に戻るのではありません。
3)神の御心のままに(38~41節)創造の際に神が御心のままに各生物にそれぞれの体を与えたように、神は御心のままに信者に復活の体を与えます。信者の体の復活は、神の創造の御心にも、神の贖いの御心に合致しています。
Ⅱ.信者はどのようなからだでよみがえるのか(Ⅰコリント15:39~49)
1)天の御国にふさわしい体で(39~43節)人間の体は地上の生活に最適なものに創造されましたが、人間の罪ゆえに疲れ、病、老い、死を負ってしまいました。けれども信者は、朽ちない栄光の御国に入るのにふさわしく、朽ちない、栄光ある、力ある体によみがえるのです。
2)御霊に属する体で(44~46節)信者は、御霊が生かし、動かし、支配する体によみがえります。ゆえに御霊か肉か、という霊的葛藤からも解放されます。
3)キリストの性質を受け継ぐ体で(45~49節)全ての人は最初の人アダムの性質を受け継いでいますが、キリストを信じた者は、キリストに命を与えられ、弟子たちに現れた復活のキリストの体のような性質を受け継いで復活します。